2011/3/10

地震の話なので畳みまーす。


仕事でちょっと北上してきました。
いつもとおんなじ時間のアポイントを取りいつもより早い電車の切符と取りました。
4ヵ月ぶりに降りるその駅は新しくなっていて、昔の姿は見る影もなく立派な作りになっていました。4ヵ月前工事が進んでいく中横目で通り過ぎたホームには真新しいエレベーターとエスカレーター。改札の前の前には一面ガラス張りの海。私の知らない町の姿がそこにはありました。この町に来るようになって初めてちゃんと見た海はただ穏やかに地平線一直線にそこにありました。
コンビニの中には新商品が陳列され、会社員も学生も主婦もおじいちゃんおばあちゃんも、当たり前のようにそこで日常を送る人々の姿を見てほっとしました。
仕事先の状態を見るまでは。
いつも大勢の人が行きかう正面玄関を入った先には重々しく巻かれた立ち入り禁止の黒と黄色のテープ。通行止めのために立てられた展示用のパネル。その奥にある閉ざされたシャッター。その周りを覆う暗い暗い暗闇。いつも通るはずのその道を避けて避けて事前に教えられた場所に行くと、元々は別の用途のために作られた部屋で、カーテンで空間を間引いた空間。もとあった場所から移された資料、資料、資料。その部屋だけじゃない。建物全体が、別の棟に移動していた。ではいつも通ったあの部屋の中は今は真っ暗でがらんどうなんだろうか。ある物を使える場所に全部移動させ、前と同じように過ごせるようにするためにはどれくらいの時間と努力がいったのだろう。じゃあ無くなってしまったものの中で前と同じように過ごせるようにするにはどれくらいの時間と努力がいるのだろう。
10:00〜16:30のアポイント。忙しい中で取ってくれた15分の中で初めにかけられた言葉が「電車大丈夫だった?」帰る時の言葉が「またちょっと揺れてきてるから早く帰りなさい」
どんだけ優しいだよ。
きっと今私がこの文章を残すのは自分が本当に経験したとはいえないからだということは重々承知しているつもりだ。いくらあの日自分では死を覚悟したと言えどもそんなのは関係ねぇ。だけど私はアホだからこうして文章に残させてほしい今思っていることを。
2010/3/10。契約の満了に向けて意気揚々とアポイントのメールを出した私。小躍りしそうだったあの日の私。嬉しくてビールを飲んだあの日の私。次の日から、取れなくなってしまった連絡。今でも信じられず受け止めきれない現実。心の奥底にしまってちょっとずつちょっとずつ消化しているものが、現実として目の前にあり続けるその土地に立って、私はとてもちっぽけだと思った。
だから仕事を頑張ろうと思う。いつか誰かの命を救うこの仕事を今は精一杯頑張ろうと思う。今私に出来るのはそれだけだから。私の力は微々たるものでも私は無力じゃねぇ。きっとやっぞ!私の大事な人の幸せだけじゃなく、大事な人の大事な人の幸せも願うことは欲張りなことじゃないはずだよね。