私と彼の414日

これからもよろしくの人もさよならの人も。
いつかこの日が来たら書こうと思っていたことです。
まず出会った頃の話からしましょうか。2010年春。あの頃の私はわだかまりを持ちながらエイトを追いかけていました。好きなのに辛かった。だってひろきがいなかった。彼らだったらすぐにどうにかしてくれるだろうと思いながら、いつまでたっても叶わない願いに、怒りをぶつけてしまいたかった。でももしかしたら明日には、って。そう思ったら心の奥底から全てでひろきが戻ってくるとeighterとして信じていたかった。そうでなければ私の考えるeighterではないと思ったから。いつかの未来にeighterを名乗れなくなると思ったから。でもどうしてどうしてと本当は心の中では彼らを問い詰めてしまいたかった。笑いながら泣きながら最高で最強のと叫ぶ声がだんだんと震えてしまいそうだった。7人である彼らに絶望してしまえればどんなに楽だったのだろう。
そんなドロドロの状態で入った2010年4月25日。横山裕ソロコン第3弾。会場は東京国際フォーラムホールA。そしてやっぱり彼ら個人個人がとても好きだと、横山さんが好きだと、ステージの上に立ち彼のために組まれたセットの中彼のために用意された演出で彼のために用意された服を着て笑い踊る横山さんをみて、あの中心で楽しそうに笑う横山さんが幸せそうで良かったって、本当にうれしかった。そして、やっぱり私が出会った頃のエイトとeighterの距離もやっぱり一緒ではいられないんだなって。ああそれを受け入れなければならないのかと思っている時でした。
メインライトが落とされた中、バックの壁が青く暗く照らされたその中で、たった1人のシルエットに自然と目が吸い寄せられたのは。誰かも判別がつかないその中で、その人から目が離せなくなった。おかしな話だよね。ただ曲のイントロの中スタンバイする動かぬシルエットばかり気になるなんて。何度あの場面を思い返しても、あれは偶然の出来事ではなかったように思うのです。
一生懸命踊ったりちょっと古かったり楽しそうだったり嬉しそうだったりキジのきぐるみ着たり…。コンサートの途中で教えてもらった彼の名前が伊藤政氏でした。これが私の政氏とのファーストコンタクト。は?マーシー?だれそれ?状態の私が、BAD以外のジュニアの名前を初めて覚えようと思った瞬間でした。思い起こせば、沢山のシーンが思い起こされます。本当に横山さんじゃなくて無意識のうちに目で追ってたってことなんだなぁ…。最後の挨拶の時にマーシー!って叫んだのも良い思い出です。後にも先にも彼をマーシーと呼んだのはあの時だけだったかも。恥ずかしいなぁ。今はもう呼べと言われても言えないな。
そんな中迎えた富山公演。特別な横山さんの誕生日公演。私は4月25日のことを忘れられずにいました。そして、コンサートが始まってすぐ。もう認めようと、瞬時に思ったのです。だって伊藤さんばっか見ちゃうんだもん。この横山大好き!な私が。そして認めしまって思いました。苦しかった時にエイトと出会ってジャニーズが好きになったのも、エイトのことが本当に大好きだったことも。その同じぐらい辛かったことも、全部、私が今日この時この感情を迎えるためだったんだなぁって。私が感じ受け止めてきた全て、伊藤政氏に出会うためだったのだと、この人と出会って私はこの人を最終的に応援するために今までジャニヲタをやってきたんだと、そう思っちゃったのです。
私がそれでまで頑なに横山担を名乗らずにいたことを知っていた友人たちは、私が政氏担になる、と言ったことにすごく驚いてたね。それが政氏の魅力が認められているようで、実はちょっと嬉しかったんだ。
5月16日。正式にブログにて担当宣言。政氏と出会ってから21日目のことでした。
そして、担宣言するにあたって、一つ心に決めたことがありました。
伊藤政氏が私の前からいなくなる時、私もジャニヲタをやめようと。
決めた、というのは正しくないかもしれません。漠然と、未来の私は政氏がいなければうちわを置くんだろうな、と思ったのです。
皆さんに謝らなければなりません。
私は彼を担当と呼ぶと決めたその瞬間から、いつか自分がうちわを置く日が来るだろうとそう思っていたのです。それは皆が描くデビューとは真逆の思い。
いつか訪れるかもしれない別れの日のために心が勝手に防御したのか、それとも客観的に見てなのか。今でも私にも分かりません。ただ、彼らの夢を100%心から信じてあげれていなかったのは真実です。たとえその夢を心から応援していたとしても。
担当宣言をした日から、私は政氏に会うたびに政氏に関わるたびに「これが最後かもしれない」と思いながら、うちわを振ってきました。これが最後かもしれないと思うとやるせないと思う現場もありました。私は毎日毎日、もしかしたら今日がその日かもしれないと思いながら過ごしてきました。だからかな、ああそれが今日だったんだって、今はそう思うのみです。
うちわを振っていて辛い時もありました。でも振り続けていたらいいことがあるよってその言葉に励まされながら振り続けた5月5日。うちわを振っていて良かったと思わせてくれたあの日。
あの受難の仲、不安で胸が押しつぶされそうになっていたオタクを迎えたのは一点の曇りもない彼らの笑顔。伊藤政氏は私が入った2日間。ずっと笑顔でい続けました。俺の自担なまじっか歳年長じゃねえなやっぱかっこいいなまじやばぱねぇな!って思ったよ。
っていうか今も思ってるよ。
私が惚れた男は、本当にいい男だった!
あの大阪の日が私の最後の日となttけど、ああ本当に政氏を好きになっていいことばっかりだった!良いジャニヲタ人生だった!思い起こしても、なんと素晴らしい日々であったことか!
皆すごく心配してくれた、ありがとうね。でも私は大丈夫。心配なのは該当担以外。大丈夫だよ。俺の自担はさ26歳で人生の岐路にたって、現状を手放して別の道を選ぶ勇気を持った男だよ。大智の一件の後3日間ずっと笑ってみせた男だよ。なあ最高にかっこいいと思わん?寂しいけど、今までの政氏との思い出思い出してみて?おもしいことばっかやと思わん?
客席に銀テ投げたりとかからまったりとか!なあ最高にかっこよかった人やと思わん?そして出会って別れて、それでもその先の幸せを願えるこの出会いって素敵やったと思わん?私は思ったよ。出会った奇跡よありがとうって!
やってほしいお仕事だって、歌ってほしい歌だって、踊ってほしい曲だって、たっくさんあった。私は本当に自分勝手なファンだったけど、一緒に叶えたい夢は持っていたつもり。でもそれだって、いつか、ジャニーズ事務所の誰かが叶えてくれるよ。私が叶えたかったことを、誰かが叶えて、誰かのファンがきっと祝福する。私の願ったことは終わりじゃない。
ああだけど。やっぱり誰より祝福したいと思うのは政氏。貴方でした。もしも貴方が私の前に返ってくる日があるのなら、その日はまた、うちわを振って、貴方の名前を叫びたいな。
ありがとう。さよならだけは言ってやんねぇ。